久々の再開だったので、お互いのその後や最近自分が関心持っていることや、勉強の進捗状況などを報告しあった。
この時フト思ったのが、学生時代の友人のM子の言葉。
先日M子は面白い事を言っていた。あれは2人でボトルを1本空けて多少呂律も周りにくくなってきた頃だろうか?
「なんでさ〜、人って男とか女とか、年齢とか学歴とか、結婚してるとかしてないとか、子供いるとかいないとか、そんなこと確認したがるんだろうね〜?」
「あ〜、確かに初対面の人とは会話のやり取りの中で、そういうとこ探ってくよね〜。」
「でしょ?仕事の相手とかでもそういうこと確認しあうじゃない?そんなの仕事に何にも関係ないじゃない?」
「うん、確かにそうだよ。でもそれから相手のことを読み取ろうとするというか、理解しようとするんじゃない?そういう情報で相手のバックグラウンドを知るというか。」
「でもさ〜、本当にそれでその人のこと知れるのかな?私はバックグラウンドはどうでも良くて、今いるその人そのものを知りたいし、自分もそのままの自分を理解してほしいんだよね。」
「う〜ん、難しいこと言うね。」
「でもそういう何のカテゴライズもされない人との関わりや集まりって存在しないでしょ?私は全くそういうのがない人の集まりを創ってみたのよ。」
M子、面白いことを言う。確かに特に女性はこの手のカテゴリー判断をよく求められる。私なんか先日仕事先の相手からの電話に出たらいきなり、「◯◯さんって結婚してるんだって?お子さんとかいるの?」と聞かれた。まあ、この人はいつも単刀直入な方なので、私もサラッとかわしたが、聞かれた側は「だから何なんだ?」という感じだ。M子もこの「だから何なんだ?」を繰り返し、声に出したくなったのだろう、「どうでも良くない?そんなの。」と。
人間関係を築く上で、こうしたバックグラウンドを知ることは必要だ。だってより密な関係を求める場合は、相手のことをより知りたくなる、自分のことを知ってほしくなるものだ。
コミュニケーション力向上のセミナーでも、交渉力の本でも、「相手のことを知る事」はより良い関係構築、より良い結果を出すために不可欠と書かれている。でも、「相手の事を知る事」と「相手を勝手に分析してカテゴライズ」するのとは別な気がする。M子はそういうことを言いたいんだと思う。表面上な分析からの勝手なカテゴライズではなく、今の自分を知ってほしいという気持ちは、案外ブログ全盛のこの世の中を表しているのかもしれない。
冒頭のセミ友。私は彼女達の年齢も、学歴も実は知らない。
実はM子の言葉を聞くまで、次の食事会の時、もっと彼女達のこと(年齢/学歴等)を聞き出そうと考えていた。でも今はちょっと考えを改めた。こちらから聞く前に、今現在の彼女達をまずは良く知ってから、その後彼女達自らそういったことを話してくれる時に聞けばいいだけのこと。私が知りたいのは、今同じように目標に向かって努力している彼女達そのものだからだ。
それ、かなり核心だよね。知ってからこそ、深められる関係もあるけれど、やはりその人自身w知るときはCategolizeしない方が本当の部分がわかるのかな?難しいかも。
返信削除