注目はファッションブランドPradaの訴訟問題。争点は、会社側がブランドとして容姿に問題があると考えるスタッフに退職を強要した、スタッフに自社製品の強制購入をさせ、売上の水増しをしたなどである。これが事実か否かは裁判で明らかになることであり、訴えた側と訴えた会社側の主張が真っ向から対立するため、どちらの主張が正しいか分からないが、「容姿」に関してちょっと考えさせられた。
興味ある方、コチラをどうぞ→http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100315109.html
一般に優れた容姿が業務の一貫として考えられる仕事も世の中には結構ある。
モデルや芸能人に始まり、ホステスさんや、客室乗務員だってそうだろう。確かに高級ブランド店の販売員も、ブランドイメージを上げるには、キレイな人がいたほうがいいだろうし、いわゆる受付嬢だって、キレイな人がする仕事として上げられるだろう。アナウンサーやキャスターだって、声よりテレビ映りが大事だし、市議だってあれだけキレイだと世界に知られる存在になる。メディアをにぎわすのは美人+専門家の方々だ。西川先生だって、女医だけではなく、美人な女医だから(あ、あとあのキャラ)あれだけバラエティに出ずっぱりなのだし、キレイでいると何かと得をすることも多いだろう。美人でなくとも出来る業種は山ほどあるが、美人でないと就けない仕事は、もうその時点で狭き門であり、いわゆる憧れの職業なのかもしれない。
でも、容姿ってそんなに大事かしら?と思うのである。
容姿は大概両親から受け継いだものであり、その人のアイデンティティの一部でもあるわけで、他人がそれをその人の仕事の能力の価値判断とするのは違うのではないかと思う。もちろん、前述のように、容姿がいいことが前提の仕事は確かに存在するワケで、私もそうだが、書類選考の写真で落とされ、能力どうのこうのの話にもならないこともあるワケで。逆にそれはそれで、最初から、「いやいや君はちょっとね」と諭されるわけだから、まだ思いやりがあるのかもしれない。何が言いたいのかちょっと分からなくなってきたが、つまり、「容姿端麗+仕事が出来る」のが一番かもしれないが、「容姿端麗+仕事はイマイチ」よりも「容姿は普通+仕事が出来る」方がずっとずっと仕事人としてプロフェッショナルではないかと思うのだ。容姿も確かに磨けば向上する、だが、その向上には整形手術をしない限り、限度があるが、仕事のスキルや技術、能力、そして何より情熱の向上は限りがない。あの永森さんだって言っている、「人の容姿の差は1:5、意欲の差は1:100にもなる」あ、間違えた、「人の能力の差は1:5」だった。。。。
女性の購買構造の原動力として「憧れ力」を常々申し上げてきた。
あのハリウッドスターが使ってるバッグだからこそ、持ちたい、買いたい。あのモデルが着ている服だから、着たい、ちょっと高くても買いたい。それは「憧れ力」から「これを着ると彼女のようになれるかも」という「勘違い力」に代わり、消費へ繋がり、世界のファッション市場を動かしているのは明らかだ。でも、店員さんのようになりたいっと思って購入に至る憧れ力は制服を着ている販売員に感じるだろうか?少なくとも私は感じない。美人受付嬢がいる会社から製品を購入したいと考える取引先客はいるだろうか?まあ、その受付嬢に恋した営業担当がいる会社ぐらいだろう。で、それは長いおつきあいに発展するだろうか?いやいや。
やっぱり、自分がキャメロンディアスになれると思わせてくれる接客が出来る店員さんがいいし、受付の対応ひとつにしても確実で、細やかな心遣いが出来る方の方がいい。それがその仕事に求められる一番大事なことだと思う。
もちろん、仕事をするうえで、最低限のマナーとしてのファッションやメーク、清潔さというのは必要だ。でも、容姿を重要視することに、私は抵抗がある。人は結局年を取れば皆同じだ。シワやシミ、背中は曲がり、足の細さや太さ、長さなんてどうでもよくなる。年をとった時に、チャーミングな笑顔を周りに日々振りまける、そんな美しさを持てる人になりたい。
まあ、イオンクレンジングマシンを買ってせっせと美顔に努力している私が言うのも説得力はありませんが、ね。。。
”最低限のマナーとしての服装”と”常識のあるメイク=私の場合は眉毛を付けたしておく”は大事かな。あとはPassion, Mission スピリッツで仕事は相手に伝わるものだと思うな。でもプラダの件は違う世界のこと見たいね。
返信削除そりゃあ、容姿は職業でも武器になるでしょうが、Pradaもずいぶんなことするのね。綺麗の有無関係なく、身だしなみを整える心がけは大事よね。
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